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叔父大城精徳のこと②


沖縄文化論

ある日の精徳叔父さんとの会話です。多分2002年頃。私は唐突に「精徳叔父さん〜岡本太郎の沖縄文化論って知ってる?岡本太郎って文章素晴らしいよね。本業の現代美術作家としてより文筆家としての方が才能あるんじゃない?」と問いかけました。姪のなまいきな問いかけに精徳叔父さんはいつものように素早く深い知識の蓄積の中から答えを用意すべく応戦体勢を整えてから、「あれはね叔父さんが岡本太郎が沖縄に来た時に運転手をしたさあ。」と鷹揚に答えました。私「え〜そうなの?岡本太郎ってどんな人?」「むすっとしてあまり何もしゃべらないひとだったな。」「イメージと全然違うね。」その後話題はいろいろ盛り上がり、、、いつものように精徳叔父さんの沖縄の歴史、文化、工芸、芸術に関する博学ぶりと記憶力のよさに敬服したのでした。

精徳叔父さんは昭和3年生まれ、旧制中学の時に沖縄戦が始まり鉄血勤皇隊として日本軍と行動を共にしたそうです。戦後は首里高校の先生や毎日新聞の記者を経験した後、琉球政府派遣の留学生としてアメリカへ留学し博物館学を学び、帰国後は琉球博物館で長らく副館長を務めていました。創成期の琉球博物館の仕事に没頭していた様子は、自宅で博物館のカタログを得意の英文訳をつけて執筆していた姿が私の子供のころのうっすらした記憶に残っています。

 

叔父大城精徳のこと①


最近年齢を重ねたせいか、昔の記憶と現在が交差する瞬間がよくあります。縦糸と横糸が折り合わさって模様が浮かび上がる瞬間とでも申しますか。その私の縦糸の中の一本が大城精徳です。私の母は八人兄弟の四女で,大城精徳は母の二番目の姉の夫で私の叔父にあたります。叔母と叔父はいとこ同士ということなので、私とも遠い血縁関係があるのでしょう。よくよく考えるとこの叔父は私が中国美術に関する仕事をすることに最初に影響を与えたのだと思っています。このサントリーリザーブの新聞広告は1983年頃でしょうか、もうかなり黄ばんでしまっていますが、全紙面の四分の一ほどもあります。このころの叔父は長く勤めた沖縄県立美術館の副館長の職を辞し、琉球文化社という出版社を立ち上げ沖縄の文化に関する本を出版したり、沖縄の地元の美術家グループ「新生美術家協会」に参加し自身も洋画家として活動していました。cmac-0928

蔡国强さん近况


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(日本経済新聞2015年7月15日夕刊記事)

世界的アーチストとして北京オリンピックのオープニングセレモニーをコーディネートするなどご活躍の蔡国強さん、スタジオをニューヨークに構えておられますが、日本でも多く活動されています。今年3月の京都市美術館のグループ展、3月8日大阪IMP松下ホールにて企業メセナの講演に続いて、現在横浜市美術館で10月18日まで個展「帰去来」を開催中です。

現代中国芸術センターは1980年代に東京画廊のお世話により蔡国強さんの個展を企画しています。

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1988年12月4日大阪新聞蔡国强

 

その時の案内状と、1988年12月4日の大阪新聞に取り上げられた記事が少し黄ばんでしまっています。懐かしいです。場所は以前現代中国芸術センターがあった場所西天満3-9-12です。蔡国強さんが来日してまもなく、絵筆の替わりに新しい表現手段としての花火の火薬を用いて試行錯誤していたころです。そのころの蔡国強さんの制作発表活動には私も大変尊敬する鷹見明彦さんという現代美術評論家が深く関わっていました。鷹見さんは若かった蔡国強さんをとても高く評価していました。残念なことに鷹見さんは2011年春に膵臓癌で55歳の若さで亡くなりましたが、改めて彼の慧眼が偲ばれます。

美術の評価について「時の試練」


美術品の評価というのはどういうことだろうかと考えていました。評価が上がるとか、下がるとか、、、。Sotheby’s Japanの石坂社長がSotheby’s「White Glove Newsletter Vol.24」にこう書かれていました。一部引用します。『時の試練 政治、経済においてもそうだが、美術の世界でもその作品が後世に残る人類の宝となるか、一時の流行で終わるかの分かれ目は「stand the test of time」、つまり時の試練に耐えられるかどうかによる。年齢を重ねるにつれ、この言葉の持つ重みをひしひしと感じる。美術品に最初に訪れる「時の試練」は、買った美術品を自宅に持ち帰った1週間後、1ヶ月後だろうか。そういう意味では「Can you live with it?」という表現はとても言い得て妙だ。眺めれば眺めるほど、作品の微妙な色彩表現」、重層な構成の複雑さに気づき、味わいが深まる作品であれば合格だ。逆に、最初あれほど感動していた、わかりやすい美しさが、実は装飾的で薄っぺらに感じられるのであれば落第だ。料理も同じだ。わかりやすいけど飽きる料理もあれば、食べれば食べるほど手間暇をかけた出汁の旨味に気づく料理もある。

次に訪れる「時の試練」は、その作家の世代が第一線から退場するときだ。生前有力な画商、コレクターの恵まれ、必要以上に評価が高かった作家もいれば、ゴッホのように生前コレクターに縁のなかった作家もいる。それから、時代の先を走っている作風もあれば、単にその時代のファッションを表面的に描いて共鳴を得た作家もいる。ふくよかな女性を描いた作品が持て囃された時代もあれば、ピカソの「貧しき食事」のように針金状の細い人物像が共感を得ていた時代もある。またロココ調が全盛の時代もあれば、ミニマリズムが幅を利かせていた時代もある。西洋文明が栄華を極め、東洋文明が置き去りにされた時代もある。戦火、天災も忘れてはいけない。そういうすべての価値観の変遷、試練を乗り越えて残った作品だけが古典となる。』引用長くなりました。

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須田剋太「無題」 36×27,5㎝

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津高和一油絵「Untitled」1957年作 8号

私は日本の5~60年代抽象表現が以前から個人的に好きでした。この3点の作品は私が気に入って求めたものですが、購入した時期も、購入した場所もばらばらです。でもこうして画像を並べて眺めてみるとなんとなく自分の好みが分かるような気がします。これらの作品いつか時の試練に耐えて評価される時がくるのでしょうか?

博文堂製南唐拓澄清堂帖


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格安でお譲りします。

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佩文韻府


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長尾雨山旧蔵 60冊 光緒年鑑
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日本の戦後現代美術作家への再評価


先日国立国際美術館で日本の6~70年代を代表する作家高松次郎の回顧展を観たからか、80年代の日本の現代美術シーンがいろいろと思い出されます。私が中国美術の仕事を始めたのは1985年ですから、もともと現代美術には関心があり80年代の大阪の状況ははリアルに体験しているのです。大阪の画廊や作家もとても元気がありましたね。今は火が消えたようにひっそりしていますが、、、。

そんな中、最近世界のマーケットでは吉原治良の起こした大阪の具体美術運動などの日本の戦後現代美術の再評価が著しく、なかでも白髪一雄、田中敦子などのアーチストは「億越えの作家」として国際市場を牽引しています。

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サザビーズパリ6月3日のイブニングセール「Art Contemporain」の会場風景(画像:サザビーズ公式facebookにより)

これは2014年6月パリで行われたササビーのセールで5億4950万円のオークション記録を達成した白髪先生の作品です(Sotheby’s 「White Glove Newsletter」Vol.24より)。この作品は大阪万博のために制作されたみたいですね。その時代の気分ですね、素敵です。気のせいでしょうか、大阪ってコスモポリタンな気分がありますよね。今はひっそりしてしまったのに再評価だなんて、皮肉ですが過ぎ去ってみないと評価できないのですね。中国では現在のところ奈良美智や村上隆、草間弥生の御三家が人気がありますね。

最近観た展覧会


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東洋陶磁美術館「黄金時代の茶道具」展

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国立国際美術館「高松次郎 制作の軌跡」展

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神戸市立博物館「ボヘミアングラス」展

2015年4月上海


上海に出張しました。街角の写真をアップしますね。FullSizeRender

延安飯店の内側の庭園です。革命の聖地延安という名前を冠する延安中路沿いに佇み、軍関係のホテルと言われる厳めしいイメージのホテルですが、内側にはこんなに美しい庭園があります。1990年前後出張時にはよく泊まりました。懐かしいです。

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これは長楽路と茂名南路の交差点です。この近くには錦江飯店や花園飯店があり、とても馴染みのある場所です。

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これは錦江飯店南楼。冒険家の楽園、魔都上海と称せられていた頃の名残が感じられますね。私は1982年9月から現北京外国語大学に2年間留学していたのですが、1983年春の春休みを利用して上海へ旅行しました。その時の一番の印象は上海はなんて都会で洗練されているのだろうかということでした。中国で都会といえるのは上海だけ、上海に比べれば当時の北京は巨大な田舎だと思いました。IMG_2907

 

上海で一番ロマンチックな通りと言われる衡山路です。素敵です。仕事とは関係のない写真ばかりですがもちろん仕事ですよ。

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