陶芸家六世粟生屋東洸先生


昨日は素敵な出会いがありました。今芸術センターで開催している黒田玉洲先生の篆刻書道展に東洸先生がお見えになりました、東洸先生のご先祖初代粟生屋源兵衛は加賀前田藩の命により焼き物を研究しました。東洸先生の陶芸作品は、青磁、白磁、赤絵、染付け、どんな作品を焼いても決して寸分たりともルーツを外さず、でも現代に生きることの軽やかさを纏って爽やかな余韻を感じさせる素晴らしいもので、私は心から感服しています。前々からこんなことが実現したらいいなとは考えていましたが、昨日偶然黒田玉洲先生と東洸先生をお引き合わせすることが出来ました。今回開催しております黒田先生の篆刻作品も色々な先人の作風、その基本になった中国の古代文字を勉強され独自の印を彫っておられますが、基本に忠実かつお人柄のにじみ出る温かなものです。この両先生の出会い、、、 今後私は触媒、かつ潤滑油の役割しっかり果たして行きたいと思います。乞うご期待。

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黒田玉洲展


日毎春の訪れを感じられる季節になってまいりました。皆様方にはますますご清祥のことと拝察申し上げます。このたび黒田玉洲先生の作品展を開催することになりました。先生との出会いは約三十年前、今と変わらず誠実な学究の徒というお姿でした。現在は大地真央さんのご主人として有名な世界的デザイナーの森田泰道さんと、新宿にあるカフェダイニングの建築に関わった時のことです。石門十三品の拓本を店内正面に備えたその店は数十本の縦型照明に書をアレンジしたシェードを巻き付けることになり、どうやってそのシェードを調達するか頭をひねっていた時です。ふと黒田先生のことが思い出されました。そこでお願いして画廊の床に宣紙を数十枚敷き詰め、快く開通褒斜道刻石を臨書していただいたことが懐かしく思い出されます。先生の作品達は微かな息づかいを重ねつつ伝統に留まらず、身の回りの言葉や物たちを穏やかに導いて、やがてその姿は密やかな仏心を帯びて作品となっていくようです。ささやかな画廊での展示ではございますが、皆様のお運びをお待ちしております。

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戦国・秦・漢時代の古玉印展


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2017年10月21日から、現代中国芸術センターにて『戦国・秦・漢玉古印展』を行い、四十七点の戦国時代から漢時代までの古玉印を展示しております。

また当方では展示された古玉印の一部と、2人の中国の当代篆刻家による印を販売しておりますので、ご興味のある方はお問い合わせ下さい。

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当代篆刻家何大為さんの作品印影

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当代篆刻家温升傑さんの作品印影

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伊江家庭園


ファミリーヒストリー的お話です。

私の母は昭和10年沖縄県島尻郡豊見城村で八人兄弟の四女として生まれました。太平洋戦争中は次女と三女と共に熊本県八代市に疎開して、姉二人と一緒に現地の小学校へ通ったそうです。初めて雪を見てびっくりしたことや、三女は成績がよく、自分は勉強があまりできず、学校が好きではなかったなどよく話していました。

私の覚えている祖母はのんびりおっとりした人でしたので、家族の血脈を守る為に兄弟の中で次女三女四女だけを遠く離れた八代市に疎開させる決断をしたことが想像できませんでした。

そして学校の成績がよかった次女は後に、琉球尚清王(1527年即位)の第七子を始祖とする伊江御殿の分家伊江家に嫁ぎました。私は沖縄に戻る時には度々この叔母の家にやっかいになっていました。首里の伊江家には自然の琉球石灰岩の岩山を巧みに利用した大きな庭園があり、この伊江家の庭園は清朝の冊封使の歓待にもしばしば利用されたそうです。庭には来訪した冊封使の書が岩に刻まれています。私の泊めてもらっていた部屋はこの庭に面していて、初夏の夜にはカエルの大合唱が聞こえてきて、その昔の使者もこうして眠りについたのかと不思議な気持ちがしていました。

あるとき叔母が私に一点の書を見せてくれました。それは昭和60年頃清朝の冊封使の五代前に当たる子孫が伊江家を訪れた時に書き残したものだそうで、それは中国仏教協会会長、第5代西泠印社社長の趙僕初氏でした。続く、、、。

琉球庭園を訪ねる2

二階改装中


二階にオーダースーツの店舗として入居されていたテナントさんが8月で退出しましたので、その部屋を当方で使うため今週から改装工事を行っています。

資源の無駄使いかと悩みつつも、一階店舗と同様インドネシア産の無垢の花梨木材を床に貼ってもらいました。花梨材で作られた明時代の家具は近年オークションなどで驚くような高値で取引されています。

そんな希少な天然木材を床材にするなんて、、、。ただやはり花梨材にはなんとも言えない暖かみと柔らかさがあり、色調が明るく上品です。明時代の職人さんが花梨材を追い求めた

のも宜なるかな。暫くは土足厳禁でスリッパに履き替えたいと思います。

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汪統先生生誕百周年汪氏藏印展in上海


3月12日上海で開催されました汪統先生生誕百年記念の蔵印展に行って参りました。

蔵印の展観と共に汪統先生が一生をかけて収集された歴代篆刻家の印120方の原拓印譜

「汪氏春暉堂蔵印選」の頒布会も催されました。

当方では「汪氏春暉堂蔵印選」原拓本と印刷本を販売していますので、ご興味のある

方はお問い合わせ下さい。

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叔父大城精徳のこと②


沖縄文化論

ある日の精徳叔父さんとの会話です。多分2002年頃。私は唐突に「精徳叔父さん〜岡本太郎の沖縄文化論って知ってる?岡本太郎って文章素晴らしいよね。本業の現代美術作家としてより文筆家としての方が才能あるんじゃない?」と問いかけました。姪のなまいきな問いかけに精徳叔父さんはいつものように素早く深い知識の蓄積の中から答えを用意すべく応戦体勢を整えてから、「あれはね叔父さんが岡本太郎が沖縄に来た時に運転手をしたさあ。」と鷹揚に答えました。私「え〜そうなの?岡本太郎ってどんな人?」「むすっとしてあまり何もしゃべらないひとだったな。」「イメージと全然違うね。」その後話題はいろいろ盛り上がり、、、いつものように精徳叔父さんの沖縄の歴史、文化、工芸、芸術に関する博学ぶりと記憶力のよさに敬服したのでした。

精徳叔父さんは昭和3年生まれ、旧制中学の時に沖縄戦が始まり鉄血勤皇隊として日本軍と行動を共にしたそうです。戦後は首里高校の先生や毎日新聞の記者を経験した後、琉球政府派遣の留学生としてアメリカへ留学し博物館学を学び、帰国後は琉球博物館で長らく副館長を務めていました。創成期の琉球博物館の仕事に没頭していた様子は、自宅で博物館のカタログを得意の英文訳をつけて執筆していた姿が私の子供のころのうっすらした記憶に残っています。

 

叔父大城精徳のこと①


最近年齢を重ねたせいか、昔の記憶と現在が交差する瞬間がよくあります。縦糸と横糸が折り合わさって模様が浮かび上がる瞬間とでも申しますか。その私の縦糸の中の一本が大城精徳です。私の母は八人兄弟の四女で,大城精徳は母の二番目の姉の夫で私の叔父にあたります。叔母と叔父はいとこ同士ということなので、私とも遠い血縁関係があるのでしょう。よくよく考えるとこの叔父は私が中国美術に関する仕事をすることに最初に影響を与えたのだと思っています。このサントリーリザーブの新聞広告は1983年頃でしょうか、もうかなり黄ばんでしまっていますが、全紙面の四分の一ほどもあります。このころの叔父は長く勤めた沖縄県立美術館の副館長の職を辞し、琉球文化社という出版社を立ち上げ沖縄の文化に関する本を出版したり、沖縄の地元の美術家グループ「新生美術家協会」に参加し自身も洋画家として活動していました。cmac-0928

蔡国强さん近况


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(日本経済新聞2015年7月15日夕刊記事)

世界的アーチストとして北京オリンピックのオープニングセレモニーをコーディネートするなどご活躍の蔡国強さん、スタジオをニューヨークに構えておられますが、日本でも多く活動されています。今年3月の京都市美術館のグループ展、3月8日大阪IMP松下ホールにて企業メセナの講演に続いて、現在横浜市美術館で10月18日まで個展「帰去来」を開催中です。

現代中国芸術センターは1980年代に東京画廊のお世話により蔡国強さんの個展を企画しています。

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1988年12月4日大阪新聞蔡国强

 

その時の案内状と、1988年12月4日の大阪新聞に取り上げられた記事が少し黄ばんでしまっています。懐かしいです。場所は以前現代中国芸術センターがあった場所西天満3-9-12です。蔡国強さんが来日してまもなく、絵筆の替わりに新しい表現手段としての花火の火薬を用いて試行錯誤していたころです。そのころの蔡国強さんの制作発表活動には私も大変尊敬する鷹見明彦さんという現代美術評論家が深く関わっていました。鷹見さんは若かった蔡国強さんをとても高く評価していました。残念なことに鷹見さんは2011年春に膵臓癌で55歳の若さで亡くなりましたが、改めて彼の慧眼が偲ばれます。

美術の評価について「時の試練」


美術品の評価というのはどういうことだろうかと考えていました。評価が上がるとか、下がるとか、、、。Sotheby’s Japanの石坂社長がSotheby’s「White Glove Newsletter Vol.24」にこう書かれていました。一部引用します。『時の試練 政治、経済においてもそうだが、美術の世界でもその作品が後世に残る人類の宝となるか、一時の流行で終わるかの分かれ目は「stand the test of time」、つまり時の試練に耐えられるかどうかによる。年齢を重ねるにつれ、この言葉の持つ重みをひしひしと感じる。美術品に最初に訪れる「時の試練」は、買った美術品を自宅に持ち帰った1週間後、1ヶ月後だろうか。そういう意味では「Can you live with it?」という表現はとても言い得て妙だ。眺めれば眺めるほど、作品の微妙な色彩表現」、重層な構成の複雑さに気づき、味わいが深まる作品であれば合格だ。逆に、最初あれほど感動していた、わかりやすい美しさが、実は装飾的で薄っぺらに感じられるのであれば落第だ。料理も同じだ。わかりやすいけど飽きる料理もあれば、食べれば食べるほど手間暇をかけた出汁の旨味に気づく料理もある。

次に訪れる「時の試練」は、その作家の世代が第一線から退場するときだ。生前有力な画商、コレクターの恵まれ、必要以上に評価が高かった作家もいれば、ゴッホのように生前コレクターに縁のなかった作家もいる。それから、時代の先を走っている作風もあれば、単にその時代のファッションを表面的に描いて共鳴を得た作家もいる。ふくよかな女性を描いた作品が持て囃された時代もあれば、ピカソの「貧しき食事」のように針金状の細い人物像が共感を得ていた時代もある。またロココ調が全盛の時代もあれば、ミニマリズムが幅を利かせていた時代もある。西洋文明が栄華を極め、東洋文明が置き去りにされた時代もある。戦火、天災も忘れてはいけない。そういうすべての価値観の変遷、試練を乗り越えて残った作品だけが古典となる。』引用長くなりました。

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須田剋太「無題」 36×27,5㎝

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津高和一油絵「Untitled」1957年作 8号

私は日本の5~60年代抽象表現が以前から個人的に好きでした。この3点の作品は私が気に入って求めたものですが、購入した時期も、購入した場所もばらばらです。でもこうして画像を並べて眺めてみるとなんとなく自分の好みが分かるような気がします。これらの作品いつか時の試練に耐えて評価される時がくるのでしょうか?

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