叔父大城精徳のこと①
最近年齢を重ねたせいか、昔の記憶と現在が交差する瞬間がよくあります。縦糸と横糸が折り合わさって模様が浮かび上がる瞬間とでも申しますか。その私の縦糸の中の一本が大城精徳です。私の母は八人兄弟の四女で,大城精徳は母の二番目の姉の夫で私の叔父にあたります。叔母と叔父はいとこ同士ということなので、私とも遠い血縁関係があるのでしょう。よくよく考えるとこの叔父は私が中国美術に関する仕事をすることに最初に影響を与えたのだと思っています。このサントリーリザーブの新聞広告は1983年頃でしょうか、もうかなり黄ばんでしまっていますが、全紙面の四分の一ほどもあります。このころの叔父は長く勤めた沖縄県立美術館の副館長の職を辞し、琉球文化社という出版社を立ち上げ沖縄の文化に関する本を出版したり、沖縄の地元の美術家グループ「新生美術家協会」に参加し自身も洋画家として活動していました。