戦国・秦・漢時代の古玉印展
2017年10月21日から、現代中国芸術センターにて『戦国・秦・漢玉古印展』を行い、四十七点の戦国時代から漢時代までの古玉印を展示しております。
また当方では展示された古玉印の一部と、2人の中国の当代篆刻家による印を販売しておりますので、ご興味のある方はお問い合わせ下さい。
当代篆刻家何大為さんの作品印影
当代篆刻家温升傑さんの作品印影
伊江家庭園
ファミリーヒストリー的お話です。
私の母は昭和10年沖縄県島尻郡豊見城村で八人兄弟の四女として生まれました。太平洋戦争中は次女と三女と共に熊本県八代市に疎開して、姉二人と一緒に現地の小学校へ通ったそうです。初めて雪を見てびっくりしたことや、三女は成績がよく、自分は勉強があまりできず、学校が好きではなかったなどよく話していました。
私の覚えている祖母はのんびりおっとりした人でしたので、家族の血脈を守る為に兄弟の中で次女三女四女だけを遠く離れた八代市に疎開させる決断をしたことが想像できませんでした。
そして学校の成績がよかった次女は後に、琉球尚清王(1527年即位)の第七子を始祖とする伊江御殿の分家伊江家に嫁ぎました。私は沖縄に戻る時には度々この叔母の家にやっかいになっていました。首里の伊江家には自然の琉球石灰岩の岩山を巧みに利用した大きな庭園があり、この伊江家の庭園は清朝の冊封使の歓待にもしばしば利用されたそうです。庭には来訪した冊封使の書が岩に刻まれています。私の泊めてもらっていた部屋はこの庭に面していて、初夏の夜にはカエルの大合唱が聞こえてきて、その昔の使者もこうして眠りについたのかと不思議な気持ちがしていました。
あるとき叔母が私に一点の書を見せてくれました。それは昭和60年頃清朝の冊封使の五代前に当たる子孫が伊江家を訪れた時に書き残したものだそうで、それは中国仏教協会会長、第5代西泠印社社長の趙僕初氏でした。続く、、、。